ジンは世界の人々に愛されるスピリッツのひとつで、カクテルベースとして欠かせない存在です。
ジンはもともと薬用酒であり、ジュニパーベリーを使った「イエネーフェル」がルーツといわれています。
本記事では、ジンの起源や発展、今流行のクラフトジンへと進化する過程を解説します。
ジンがどのようにして世界に普及したのか、詳しく見ていきましょう。
- 都内オーセンティックバーの元バーテンダー
- ウイスキーエキスパート所持
ジンやウイスキーを中心に、これまで300種類以上のお酒を飲んできました。実体験をもとに、「本当に美味しい」と思ったお酒を紹介します。
年表で見るジンの歴史
ジンの歴史を、以下の年表にまとめました。
13~14世紀 | 「イエネーフェル」がネーデルランドで誕生する |
15~16世紀 | 蒸留酒「イェネーファ(Geneva)」が登場、ジンは薬用酒から嗜好品になる |
1568~1648年 | 八十年戦争による混乱で「イェネーファ(Geneva)」が国外に持ち出される |
1672年 | 「イェネーファ(Geneva)」がオランダの辞典に掲載される |
1689年 | 名誉革命でオランダ貴族ウィリアム3世がイングランド国王になり、ジンブームが到来する |
1714年 | 「ジン」という単語がオックスフォードの英語辞典に登場する |
18世紀初め | ジンクレイズ(ジンの狂気の時代)が到来する |
18世紀半ば | ジンアクト(ジン取締法)が施行される |
19世紀初め | 連続式蒸留機が発明されスピリッツの品質が向上する |
20世紀~ | カクテルブームが起こり、やがてクラフトジンやプレミアムジンが登場する |
薬用酒から嗜好品となったジン
もともと薬用酒として誕生したジンは、その爽やかな味わいから人気となり、嗜好品として人々に愛飲されるようになります。
ジンのルーツ「イエネーフェル」と、嗜好品に変化するまでの歴史を解説します!
ジンのルーツ「イエネーフェル」
ジンのルーツである「イエネーフェル」はジュニパーベリーを使った薬用の蒸留酒で、13~14世紀にネーデルラント(現在のオランダとベルギーのあたり)で誕生しました。
蒸留技術は12世紀にイスラム文化圏より伝わり、大麦・ブドウ・ライ麦を原料とした蒸留酒はアクアヴィテ(生命の水)と呼ばれ、医者にも医療効果が認められていました。
「イエネーフェル(Jenever/Genever)」とはオランダ語で「ジュニパー」の意味。
ジュニパーとは北半球の寒い地域に分布する背の低い針葉樹で、ジュニパーベリーは薬効のある植物として古くから広く利用されていました。
薬用酒から嗜好品に変化
15世紀以降、ジュニパー入りの薬用酒は嗜好品に変化します。
16世紀には、ライ麦や大麦麦芽を原料とし、香りづけのボタニカルにジュニパーが使われた蒸留酒が誕生。
ボタニカルの「ジュニパー」を名称に取り入れ、「イェネーファ(Geneva)」と呼ばれました。
「イェネーファ(Geneva)」がオランダの辞典に初めて掲載されたのは1672年ですが、その100年ほど前からイェネーファの製造が盛んに行われていたといわれています。
イギリスのジンブームと「ジンクレイズ」
オランダで生まれたジンは八十年戦争をきっかけにイギリスに持ち出され、民衆の間でブームとなります。
やがてそのブームは市民に堕落をもたらし、後世では「狂気のジン時代」と呼ばれました。
以下のトピックに沿って、「狂気のジン時代」と呼ばれるまでの歴史を解説します。
- ジンのイギリス進出
- 名誉革命によるイギリスでのジンブーム
- ジンクレイズ(狂気のジン時代)
ジンのイギリス進出
イェネーファの製造が盛んに行われていた時代、ネーデルラントで八十年戦争(オランダ独立戦争/1568~1648年)が始まり、ネーデルラント北部(現在のオランダ)がスペインから独立しました。
戦争の混乱からネーデルラント南部のアントワープ市民は、北部やフランス、ドイツ、イギリスに逃げ出します。
イギリスに「イェネーファ」がもたらされたのはこのときで、逃げ出した移民が持ち出したとも、オランダを支援していたイギリス兵が持ち込んだともいわれています。
名誉革命によるイギリスでのジンブーム
イェネーファ(Geneva)はイギリスでは英語読みの「ジュネヴァ」と呼ばれ、イギリスに広まります。
1689年、名誉革命によってオランダのオレンジ公ウイリアム3世がイングランドの新国王になると国王の祖国のお酒「ジュネヴァ(ジン)」は注目を浴び、大衆から支持を得ます。
国王が宗教的な対立からフランスのブランデー輸入を禁止したことも手伝い、「ジュネヴァ」は爆発的な人気を得ました。
この頃、イギリスで人気となった「ジュネヴァ(Genever)」は、略して「Gin」と呼ばれるようになりました。
ジンクレイズ(狂気のジン時代)
ジンは民衆の間で大人気となりましたが、知識のないイギリスの製造業者がオランダ式の製造方法に倣わず造っていて、粗悪な品質でした。
当時の水は汚染されて飲めなかったため、パンやミルクよりも安かったジンは、貧困層に水代わりのように飲まれていたといいます。
雑味を隠すための大量のシロップ、ジュニパーの代用品のテレビン油(松の樹脂から抽出される脂)が使用され、中には有害な添加物が加えられているものもあり、低品質なジンは次第に人々の健康を脅かすようになりました。
1714年、オックスフォード英語辞典に初めて掲載された「ジン」は「評判の悪い蒸留酒」と定義されています。
1750年代には1000万ガロン(約4,546万L)が消費されていたと考えられており、1751年には、アルコール中毒による子どもの死亡が約9,000件記録されています。
ジンの消費量増加による市民への悪影響と惨状は、後世「ジンクレイズ(ジンの狂気の時代)」と呼ばれることとなります。
ジンアクトの施行とオールドトムジン
ジンクレイズの中、当時の政府はジンを取り締まるべく「ジンアクト(ジン取締法)」を実施します。
規制の間でもジンはひそかに売られており、最も有名な販売方法が「puss&mew」です。
ジンアクト(ジン取締法)
1720年代になると、社会への悪影響から政府はジンの規制に乗り出しました。
1729年にジンアクト(ジン取締法)を施行し、ジンの生産と消費の両面を規制したのです。
しかし、最初のジンアクトは人々の反発を受けて失敗。
その後も複数回のジンアクトを行い、ジンの品質向上や価格に関する法律を策定しました。
ジンの消費量を抑えることに成功したのは、1751年に行われた6回目のジンアクトです。
スピリッツへの消費税が50%以上引き上げられ、店での直接販売は禁止。
パブのみにジンの販売が許可され、販売ライセンス料は2倍となりました。
危険な混ぜ物のジンを造る業者にも規制をかけ、ようやく混合ジンの生産量を減少させることに成功しました。
オールドトムジンの由来となった「puss&mew」
ジンアクトの厳しい規制中でも、ジンはひそかに販売されており、その中で最も有名なのが「puss&mew」です。
猫の看板に向かって「puss(猫)」とささやくと、中の業者「mew(ニャー)」と返事をします。
返事を受けて口にお金を入れると猫の前足にある管からジンが出てくる仕組みで、摘発されにくい仕掛けでジンが売られていました。
自動販売機のような仕組みですね。
当時飲まれていた少し甘めのジンは「オールドトムジン」と呼ばれていましたが、これは「puss&mew」にちなんで付けられたという説があります。(※トムは「オス猫」の意味)
「オールドトムジン」の名前の由来には諸説あり、他にも「オス猫のトムがジンの樽に落ちてフレーバーが付いた説」、「トーマス・チェンバレン(愛称オールド・トム)という人物が、このジンのレシピを発案した説」もあります。
ジンの復興と再ブーム
狂気のジン時代がジンアクトによって終わると、優良なジン業者が品質向上とイメージアップを図りクオリティの高いジンを生み出します。
オールドトムジンに代わって人気を得たのが「ドライジン」です。
ジンの品質向上
ジンアクトの成功により粗悪なジンがなくなり始めた頃、1757年に原料の穀物が不作に陥ります。
穀物が貴重になったためジンの製造に規制がかかり、ジンの価格が高騰しました。
もともと安酒として親しまれていたジンは、高騰をきっかけに人気がなくなります。
ジンの人気が落ち込む中、製造業者は質の良いジンづくりを目指しました。
品質の良いジンが次々と誕生し需要が高まり始めると、名水が湧くロンドンのクラーケンウェルに次々とジン製造業者が集まりました。
「ゴードン ジン」で有名なゴードン社は、1769年にロンドン南部で生産を開始しましたが、1786年に全ての事業所をクラーケンウェルのゴスウェルロードに移転。
ゴードン社はジンに「Gordon’s」と生産者の名前を付け、品質を保証しました。
ジン業者の取り組みと品質の向上によって、ジンの「身体に悪い安酒」というイメージは変化し、再び民衆に受け入れられるようになりました。
コラムスチルの誕生とドライジン
19世紀に入ると、連続式蒸留機(コラムスチル)の登場によりジンのベーススピリッツが大きく変化しました。
1804年、連続式蒸留機の元となる蒸留機の特許を、フランス人科学者エデュアール・アダムが取得。
その後、蒸留所経営者のロバート・スタインや、酒税監視官のイニーアス・カフェが連続式蒸留機の開発を進めました。
カフェが造った「カフェ式蒸留機(パテントスチル)」は現在でも世界中で使用されており、蒸留機の開発によりベーススピリッツの雑味はなくなっていきました。
この革命的な連続式蒸留機の発明でできた高純度のスピリッツは、ボタニカルの香りを邪魔しません。
雑味をごまかす甘みを添加する必要もなくなり、香り豊かで辛口のジンは人気を博しました。
この辛口のジンは、それまで人気のあった甘みのある「オールドトムジン」と区別し「ドライジン(辛口のジン)」と呼ばれるようになりました。
アメリカでのドライジン・ブーム
アメリカへ渡ったドライジンは、マティーニといったカクテルベースとして脚光を浴び、世界的に知られるスピリッツに成長しました。
1930年には有名なカクテル本「サボイカクテルブック」に、ジンカクテルにはドライジンがおすすめと掲載されます。
やがてカクテルブームが終わると、ジンはウオッカに人気の座を奪われ「時代遅れのお酒」として不遇の時代を迎えます。
不遇の時代を脱すべく、品質向上とイメージ戦略で巻き返すきっかけとなったのが、1987年にリリースされた「ボンベイ・サファイア」です。
ボンベイ・サファイアのラグジュアリーなブルーのボトルが、時代おくれのイメージを払拭し、若者を中心に受け入れられます。
品質も向上し、その後に続く「ビーフィーター」「ゴードン」「タンカレー」とともにジンのファンを増やしていきました。
ジンの新時代「クラフトジン」
近年、新たなブームを迎えているのが「プレミアムジン」と「クラフトジン」です。
ジンは熟成を必要としないので、ウイスキーやブランデーに比べるとプレミアムな価値を付与しにくいと考えられていました。
しかし、人々の好みの変化に伴いジン業界もさまざまな取り組みを行い、素材や製法で価値を高めたプレミアムなジンが登場しました。
「ボンベイ」や「タンカレー」は、下表のようなプレミアムなジンを開発しました。
銘柄 | 価値を高める工夫 |
ボンベイ・サファイア | ・美しいブルーボトルを採用 ・10種ものぜいたくなボタニカルを使用 ・使用ボタニカルを開示し、品質の良さをアピール |
タンカレーNo.10 | ・蒸留液を大幅にカットし、高純度のスピリッツを製造 ・フレッシュボタニカルを使用 |
さらに下表のような、ユニークな素材や製法、クラフトにこだわるジンも登場し、ジンの可能性が広がります。
銘柄 | こだわりの原料や製造法 |
ヘンドリックス ジン | バラの花とキュウリのエキスを使用 |
モンキー47 | 地元の森で採取した47種のボタニカルを使用 |
ザ・ボタニスト | ブルックラディ蒸留所が、ウイスキーの技術を応用して製造 |
プレミアムジンやクラフトジンが台頭し、ジン市場は再び活性化します。
イギリスやスコットランドにとどまらず、このジンブームはスペインやアメリカ、日本にまで広がりました。
今では個性あるたくさんのクラフトジン・プレミアムジンが流通しています。
まとめ
ジンは長い歴史を持つ蒸留酒で、今では世界中にその魅力が広まっています。
薬用酒としてオランダで誕生したジンは、嗜好品となってイギリスで人気を獲得し、アメリカに渡ってカクテルベースとして強い存在感を示しました。
近年ではクラフトジン、プレミアムジンの人気が高まり、独自のフレーバーや品質の高さが世界中のジンラバーの心をつかんでいます。
長い歴史を持つジンが、今後どのように進化するのか楽しみですね。